気仙沼から山形への帰りは、行きと違って、気仙沼からBRTに乗って柳津まで。行きは山の中でしたが、今回は海沿いを走ります。少し遅めの午前。海沿いは、震災後とてもきれいに整備されていました。しかし、駅の周りには家が少なく、乗客も少なく、かなりの区間、私1人だけでした。震災前に近づけても人は戻ってきていない感じがしました。何にための復興なのか?時々自動運転をしているそうですが、運転手も乗客もいない車両が走ることになるかも。 柳津についたら、そこはJRの終点でした。誰もいないので一瞬廃駅かと思いました。そこから前谷地までは楽しいローカル線の旅。前谷地も無人駅で、駅前にコンビニのようなお店がありました。何にもなかったので3年前に開いた、と女性店主が言っていました。山形に移住してから、酒田、鶴岡、県外では、秋田、新潟、佐渡島に旅行しましたが、太平洋側なのか、随分違う感じがしました。
私が独立する前にいた東北新社の大先輩である。入社前から、CM NOWという雑誌でその存在を知っていたのだが、入社後、更なる売れっ子になっていた。一流のクライアント、クリエイターの仕事が殺到するので、プロデューサーも全員が中島さんとできなかった。私の上司は、中島さんの仕事が多かったのでラッキーだった。中島さんは超売れっ子で、仕事大好き人間なので、スケジュールを取るのが大変だった。打合せ、撮影、編集の時間をもらうために、別の編集中の中島さんを編集室前で待機して、一瞬外に出た時に話をするという繰り返しだった。後に、SMAPのスケジュール取りをした時はこの時の教訓が生かされた。中島さんは、自分で企画もできる。東北新社のCMディレクターは最初は企画部からスタートする。資生堂の仕事は代理店を通さない仕事だったので、中島さんが企画もやっていた。どれも面白い。中島さんは仕事も早いし、上がりも素晴らしい。稀代のクリエーター佐藤雅彦と大貫卓也の仕事を同時にやっていたのは驚異である。(2人の仕事をやったことがあるのだが要求が凄くて超大変。)そう、人の企画でもディレクターに徹してやれる器用さもあった。日本のCMでデジタルとCGを最初に使いこなしたディレクターでもある。中島さんには数え切れないほどの美点があるのだが、特に他のディレクターにない点は、出演するタレントと仲良くなる技術である。CMは、ドラマや映画と違って、全く知らない同士が、スタジオで数時間過ごすわけだが、中島さんは相手に最大の敬意と丁寧さを駆使して、のせまくる。とんねるず、PUFFY、沢尻エリカなど、中島さんにだけ心を開いたタレントは数知れない。こんなディレクターはもう出ないと思う。CM全盛期の中で花開いた稀有なタレントだと思う。