私の周りに、山形出身で、東京で何年か修行して、山形に戻ってきて自分の店を開いた人が何人かいます。ヘアカットのCUTZの小松さん、メキシコ料理のタコス・イ・マルガリータの佐藤さん。話を聞くと、皆さん東京で何かを発見して山形に戻っています。例えば、佐藤さんは東京でメキシコ料理店で働き、タコス料理に可能性を感じたようです。①外で得られた知識をどう山形で生かすのか?他に、②山形→外、③山形→山形 ④外→外がありますが、大袈裟かもしれませんが、山形にとって①をどう生かすかが、運命の分かれ道だと思いました。
マルコム・グラッドウエルの「急に売れ始めるにはワケがある」という本に、ビートルズがレコードデビュー前のハンブルグのライブハウス時代に、毎晩長時間演奏をしたことが後の才能を開花させる要因になったと書いてある。
映像のプロデューサーはある程度の量の映像を見る必要がある。つまり小さい頃から映像を見ている人が強い。ミュージシャン、スポーツ選手と同じである。
以前いた映像制作の会社で、新入社員の試験をしてみると、どちらかと言うと映像に興味があるからという人と、子供の頃から映像に親しみ、映像が本当に好きな人がいて、後者は少なかった。入社するのは後者だけでは足りないから前者も入れることになる。早い時期から映像に向き合ってきた人は少ない。
若い頃から映像を見てきた人でもプロになれる人となれない人がいる。なれる人はただ見ているだけでなく、映像はどうして作られるのだろうかなどと2次的、3次的思考をする人である。アメリカの有名映画監督は子供の時からホームムービーを作っている人が多い。今は映像を作るのがより簡単になっている。早くから制作をしている人が強い。ゼロから自分で考えて映像を作る人はとても強い。
日本が映像大国になるには小さい頃から映像に慣れ親しむことができる環境を意図的に作ることだと思う。ビデオがなかった頃は、名画座と映画評論家がその役割を担っていたが不十分であった。今はあらゆる映像を見る機会が増え、教える学校も増えたが、効率的に有効な内容を学べる機会は意外に少ないと思う。教える人と内容にギャップがある可能性がある。専門学校は専門家を作る。ここから映像の未来を担える映像プロデューサーやディレクターになる人は少ない。学校と現場がミスマッチしているケースが多いと思う。