クリストファー・ノーラン(「インターステラー」)の「オッペンハイマー」は内容が完全に大人向けなのに、世界中でヒットした。2年前に世界旅行に行った時にサンパウロで観たが、公開後しばらくたっていたにもかかわらず結構お客さんが入っていた。ノーランの映画は、難解な部分があるが、全てヒットしている。スタンリー・キューブリック(「2001年宇宙の旅」)の映画も難解な部分もあるが、実はヒットが多い。彼はドル箱だったようである。アンドレイ・タルコフスキーは「惑星ソラリス」が有名だが、公開規模も小さく、ヒットしていない。しかし、若い監督と話をすると、「2001年」と「ソラリス」は同じ地平にある。作品そのものの評価だけでなく、難解なのになぜヒットしたのかを追求したい。日本もかつて松竹ヌーベルバーグ(大島渚「青春残酷物語」)など難解な映画がヒットする時代があった。80年代のイタリアの巨匠ヴィスコンテブーム(「家族の肖像」)、79年の「木靴の樹」から始まるヨーロッパのアート映画のブーム。誰でもヒットが予想できるわかりやすい映画が世の中に溢れることになると、人間の多様性への興味が失われる。
仕事が赤字になりそうな時に、なんとか利益を上げようと、寸前まであがくプロデューサーを多く見てきたが、トータルで見ると、損をするケースがほとんどである。であれば、最初からこの位赤字と見込んで、腹を括り、なるべくスタッフに迷惑をかけず、クオリティを上げるべきである。 赤字仕事を受けないようにするにも、腹を括る必要がある。なぜなら、そのクライアントの仕事が一切なくなる可能性があるからである。しかし、そのクライアントと仕事を続けても、赤字を取り戻せる保証はどこにもない。むしろ、避けられることもある。 クオリティを上げたいために赤字でやってしまうと、クライアントは、こちらの考えなどお構いなしに、その金額でできると思い込む。そうなると次回の予算に影響する。つまり、自分の首を絞めることになる。 赤字になる前から戦略を立てる必要がある。